「女」として生きることについて

わたしは女だ。生物的にも、文化的にも。

 

だからこそ、「すべきこと」を押し付けられているなと感じることがある。そう、みなさんご存知、結婚と出産です。

 

この2つの「契約」について、わたしは願望を持ったことはない。幼い頃の夢はお嫁さんなんかじゃなかったし、常に反抗的な子どもだったので今だに反抗心から結婚や出産に否定的なのかと思うこともあるけれど、わたしはわたしの意思で望んでいないのだ(たぶん)。

 

だって、メリットがない。

結婚したからといって何が得られるのだろう。祝福?安定?そんなもの独身でいても手に入る世の中じゃないか。

まあ、結婚に関しては結婚したい人間が現れたらしてもいいかもしれない、くらいには思っている。でも、何がわたしをそう思わせるかが分からない。わたしへの愛?わたしの世話をしてくれること?精神的な安らぎ?

どれも結婚をせずとも手に入ると思っているんだよなあ。だって、愛しているのなら愛しているよと声に出し、行動で示し、一緒にいればいいじゃないか。なせ結婚という契約を結ぶべきなのかが分からない。しょせん不完全な人間が作り出した契約なのに。と思ってしまう。

 

こんなことをこの間高校の同級生に話していたら、ものすごく引かれた。人間は結婚すべき、子供をもつべき、なんだって。なんでと問い詰めたけれど明確な答えは得られなかった。彼女も迷いながら「答え」を求めている最中なのかもしれないが、それを認めずわたしのことばかりを批判するのはすごく不快だったな。わたしがもう会いたくない人のリスト入り、おめでとう(性格悪い)。

 

あと、子どもについて。

個人的に子どものことを「子供」と書くのはすごく嫌なので、小学生の頃からこの書き方を貫いている。

そんなことはどうてもよくて、わたしはすごくシンプルに子どもを欲しがる人がすごく新鮮。単純に、気持ちが分からない。よく友人に、「子ども可愛いじゃん!ほしくない?」と言われるのだが、可愛いからといって自分のものにしたいわけではない。

わたしにとっては恐怖心すら覚える子育てに自ら進んでいく友人たちを見ると、未開の地を行く冒険家たちのように見えることがある。良くも悪くも。

 

わたしの思いのたけをつらつらと書いただけでした。そんな気持ちにさせてくれた今日の本は「寂しさもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤはなんだというのか」でした。長いね題名。

自分がおかしな考えを持つ人間ではない、とよく分かって安心できた1冊だったな。ありがとう。