TENET
先日、初めてテネットを観て感じたこと、思ったことを垂れ流そうかなと思います。主に男女平等の問題と、DV表現について。
ネタバレはしてないつもりですが、極力情報を入れないようにしている人は避けてください。
まず素晴らしい映画だったことはもちろん。だけども、ジェンダーイクウォリティー的には引っかかることだらけだったことは間違いない。だって、女性キャストの少なさよ。
なんで「多様性に配慮しました」と謳った作品だけが多様性に配慮してるんだろう。もちろん時間がかかるのは分かっているけれど、女性監督がもっといたなら、彼女たちがもっと活躍できたのなら、こんなことにはならないのでは?と思わざるを得ない。
ノーランが男性であることで彼が作る作品の主人公が男性になるのはある程度仕方のないことなのかもしれないが、それと同様に「普通に」恋愛もの以外の作品での女性主人公がキャスティングされるのはいつになるのだろう、と考えてしまう。
バディものは必ずと言っていいほど男性キャストだし、もはや「漢気」を語る代名詞のようになっている。
わたしはバディものに憧れを感じるとともに、自分が女性であることを少し悲しく感じてしまう。
あと、DV描写があることについてがTwitterで話題になっていたが、それについて「そんなことで傷つく人はもはや映画なんか観るな」的なことを言っている人がいて、本当にうんざりした。黙れ小僧。
なんで傷ついた人が配慮をして映画鑑賞をしなきゃいけないんだ。もちろん、ある程度は自分で選択することも必要になるかもしれないが(グロが苦手はわたしはグロい映画観ないようにしてるとか)、製作者側にだって配慮の必要があると思う。誰しもが作品を観る権利があるんだから。でもそうすると、製作者にだって作る権利があるだろとか言われるんだよな。なんのために映倫があるんだよ、なんのために広報がいるんだよ。きちんとある程度は言ってくれよ。と思っちゃうよ。
いつか、性別に関係なく活躍できる世界になりますように。そして、誰しもが純粋に楽しめて、夢を持てる作品がたくさん生まれますように。
「女」として生きることについて
わたしは女だ。生物的にも、文化的にも。
だからこそ、「すべきこと」を押し付けられているなと感じることがある。そう、みなさんご存知、結婚と出産です。
この2つの「契約」について、わたしは願望を持ったことはない。幼い頃の夢はお嫁さんなんかじゃなかったし、常に反抗的な子どもだったので今だに反抗心から結婚や出産に否定的なのかと思うこともあるけれど、わたしはわたしの意思で望んでいないのだ(たぶん)。
だって、メリットがない。
結婚したからといって何が得られるのだろう。祝福?安定?そんなもの独身でいても手に入る世の中じゃないか。
まあ、結婚に関しては結婚したい人間が現れたらしてもいいかもしれない、くらいには思っている。でも、何がわたしをそう思わせるかが分からない。わたしへの愛?わたしの世話をしてくれること?精神的な安らぎ?
どれも結婚をせずとも手に入ると思っているんだよなあ。だって、愛しているのなら愛しているよと声に出し、行動で示し、一緒にいればいいじゃないか。なせ結婚という契約を結ぶべきなのかが分からない。しょせん不完全な人間が作り出した契約なのに。と思ってしまう。
こんなことをこの間高校の同級生に話していたら、ものすごく引かれた。人間は結婚すべき、子供をもつべき、なんだって。なんでと問い詰めたけれど明確な答えは得られなかった。彼女も迷いながら「答え」を求めている最中なのかもしれないが、それを認めずわたしのことばかりを批判するのはすごく不快だったな。わたしがもう会いたくない人のリスト入り、おめでとう(性格悪い)。
あと、子どもについて。
個人的に子どものことを「子供」と書くのはすごく嫌なので、小学生の頃からこの書き方を貫いている。
そんなことはどうてもよくて、わたしはすごくシンプルに子どもを欲しがる人がすごく新鮮。単純に、気持ちが分からない。よく友人に、「子ども可愛いじゃん!ほしくない?」と言われるのだが、可愛いからといって自分のものにしたいわけではない。
わたしにとっては恐怖心すら覚える子育てに自ら進んでいく友人たちを見ると、未開の地を行く冒険家たちのように見えることがある。良くも悪くも。
わたしの思いのたけをつらつらと書いただけでした。そんな気持ちにさせてくれた今日の本は「寂しさもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤはなんだというのか」でした。長いね題名。
自分がおかしな考えを持つ人間ではない、とよく分かって安心できた1冊だったな。ありがとう。
無礼な人にNOと言う44のレッスン
自分の選ぶ本のチョイスには毎回驚かされる。だって今欲しかった言葉ばかりなんだもん。すごいなわたし。やるじゃん。
そんな、昨日買ったばかりの1冊から。
「「悪い言葉は言葉のゴミ」」って最近読んだ本に書いてあった。すごくすっきりした。
わたしはよく嫌な気持ちになった出来事を反芻してしまう癖がある。
あのときこうしてれば、どうしてこんなこと言われたんだろう、わたしってなんてかわいそうな人なんだろう、とか。
でもそれってたくさんのゴミを大事そうに抱えて何度も何度も開いて見返してたってことか。
そう思うと、今まで悩んでたことがバカらしくなって、心がふっと軽くなった。
ありがとうチョン・ムンジョン。
すきなもの
わたしはわたしが好きなものが分からない。
映画と音楽が好きだけれど、
どれも好きだということを発見したのはわたしじゃない。
家族や友達、他人に言われて気がついた。
そんなことってある?
心の底から、喉から手が出るような欲望に苛まれて、わたしはこれが好き!と言ったことがない。みんなそう?